青と藍と蒼と碧

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モンハンがメインの日々諸々・・・かな?

傍目にはわかる人にしか判らない 《長文注意》

鬱を患っている人というのは、傍目には、わかる人にしか判らないし、ほとんど、鬱ではない大多数の人と変らないことが多々あります。

 

私も、

「全然、そんな風には見えない!!」

と、当然のように言われます。

外に出ている時は、大多数の人とほとんど変わらないように、見えるようです。

私は、気分変調性障害です。

 

気分変調性障害とは、鬱の一種で、小学校高学年から中学生くらいに発症し、やや弱い抑鬱状態がずーーーーーーっと続く、精神障害者保健福祉手帳の交付が受けられるほどの、脳の機能障害です。

 

詳しくは、

こちらのサイトや

 

気分変調性障害/気分変調症(こころの病気のはなし/専門編)

 

こちらのサイト

 

気分変調症(持続性抑うつ障害) | こころの病気(一般編)

 

こちらのWikipedia

 

気分変調症 - Wikipedia

 

 

をご参照ください。

 

 

私も(思い返すとどうやら)小学校高学年の頃には発症しており、中学生の時には、死にたいと思っていました。

その頃の救いは、恩師である、理解してくれていて他学年の担当なのによく見ていてくれた社会の先生がいらっしゃり、慕う私の相手をしてくれていたことでした。

卒業式の日に、

「先生が居たから、何とか(通えて)卒業できました。ありがとうこざいます」

と言ったら、

「危ない時あったもんな」

と、さらりと当然のように言って貰った事をよく覚えています。

誰より(多分両親より)も、気にかけて見ていてくれたことを実感した瞬間でした。

 

また、一般的に認識されているような死にたいという事に対する『衝動性』は弱く、どうやって死ぬにしても誰かしらに迷惑がかかるのを申し訳なく感じていて、更にさすがに家族だけ(と先述の恩師)は悲しんでくれてしまうだろうと、死ぬより消えてしまいたい、最初から存在しなかったことにしたい、最初から存在しなかったら良かったのに!と強く、日々思いながら、死ねずにいました。

 

そして、運命を感じた高校に入りました。

いわゆる『高校デビュー』をしたいと、“彼女とは何かある”と感じた垢抜けないオタク女子っぽい子とも距離を縮めず、(当時の)今時女子高生と仲良くなろうとするもうまくいきませんでした。

割と仲良くしてくれていた他の地味目女子のグループの中で1人に好かれていないのではと、距離を置いたら、戻れなくなりました。

その当時なりに精一杯、他人の気持ちを慮り、距離感が中途半端になり、自分から近づく勇気が足らず、仲の良かった男子とも女子とも、妙な距離が生まれ、孤独な高校生活の中、遅刻の常習者となっていきました。

2年生の1年間は、百何十日と遅刻をし出席した日の2/3以上遅刻、遅刻しない日の殆どは、サボって(変な所で補導されたりするのは面倒だったし、怖かったし、親にバレるのが嫌だったので)公民館で過ごしていました。

遅刻している時も、職員室に行くのが嫌で(当然、怒られるなど何かしら言われるので)、授業と授業の間の休み時間に着いて、しれっと次の授業から出たりしていました。

 

3年生になって、先述の女子が垢抜けてかわいくなっていたり、もうそういう事にこだわる気持ちより彼女との核心を感じる縁に従って、居場所を見つけました。

相当楽になったものの、遅刻は相変わらず、年間数十日はしていた記憶があります。

 

また、2年生の時の同級生で、“なんか気になるな?何かある気がする”と感じていた男子とも選択授業が同じだった為、仲良くなり

「〇〇くんて、笑顔のポーカーフェイスだよね」

とまで言える仲となり、後に本人から『バレた』と思ったと、聞きました。

当時は“痩せたら凄くモテそうだなぁ…勿体ないなぁ”などと、失礼な事を思っていましたが、痩せなくても充分モテていたそうです。

 

東京に出たくて、とにかく上り電車に乗りたくて(笑)、自宅からギリギリ通える東京の短大に通っていました。

『短大デビュー』も成功はしなかったのですが、何とか居場所は確保。

しかし、いかんせん乗り換え2回+所要時間2時間以上の通学は、一限に間に合う筈もなく、遅刻や結局一日中電車に乗って座ったまま眠り込み乗り過ごし続ける日もある位でした。

自宅から最寄り駅までバスに終点まで乗り、そこから山手線まで1時間程、間に合わない時間には座れるので座って乗り過ごし、終点の東京の先の県まで乗り続け、折り返しのその車両で最寄り駅まで戻る事も多々ありました。

山手線を何周かしていた事も何度となくあります。

結果、温情で単位を下さった先生のご厚意も虚しく、一限にしかない授業の単位が足らず、2年では卒業できませんでした。

留年は許されなかったので、中退しました。

私の中では、(短期)大学生活を経験してみたかったという部分が多分にあったので、その後専門学校に行って調理師資格を取れればいいと思っていました。

が、さすがに、そこまでお金を出してくれる程、両親が甘い訳もなく、アルバイトで学費を稼いで専門学校に…という予定のフリーターになりました。

 

アルバイトを始めても、時間通りに動くことができず、遅刻は勿論、指示された時間内に仕事を終らせることもままならないままでした。

時間通りに動けないこと以外の仕事は評価して貰えていましたが、いかんせん、周りに示しがつかないと、クビになっていました。

それでも、短くても半年、長く我慢して下さった所で3年(遅刻の代償として最低賃金以上の昇給なし)続けていました。

「あんたの遅刻は、病気ね」と言われた事もありました。

まさか、それが真実である事には、お互いに気づかずに…。

 

そんな中、“何か”を感じていた男子に頼みごとがあって再会。

3桁乗りかけていた体重を、見事に落とし、モテるであろう姿になっていました(笑)

 

私の遅刻大王っぷりとも笑って許してくれる中、実は中身はかなりブラックな事を考えていた事を知ったり。

最終的には、私の成人式の記念写真とその撮影後の自宅前での妹との写真で、落ちたらしい(と、後で聞いた(笑))です。

 

上述のリンクにもある通り、優柔不断大魔王でもある私には、最善のアドバイスをくれて(どうしろとは言わず、それぞれのメリット・デメリットを教えてくれたりして)決断を促してくれる、最高の相談相手でもあり、一生手放したくない友人だったので、いずれ結婚するか、別れても友人でいてくれることを条件に、お付き合いを始めました。

 

その後、同居・入籍を経て、遅刻大王のまま1年程度でクビになりながらも、フルタイムフリーターとして、仕事は続けていました。

人と接することが好きで、販売が楽しかったので、ずっと販売業をしていました。

書店で、クビが危うくなり始めた頃、たまたま担当していたビジネス書の中に、

『どうしても遅刻してしまう人の本』

じゃなかった…。

『遅刻・締切 いつもルーズな人のクスリ』

という本を見つけ、必死の思いで読みました。

巻末の方に、

“それでも、やっぱりうまくいかない人は、病気を疑ってみた方がいいかもしれない”

というような事が書いてあり、3種類ほどの病気の症状なとが解説されていました。

 

目の覚めるような想いと、だったら、治療すれば治るかもしれないという希望でが見えました。

ADHDだとやはり大人になって判った先述の“何かある”と感じた(高3の時には親友と言えるほどの仲だった)彼女の紹介で、今の心療内科を受診しました。

 

ADHD(実際には多動がないのでADD)を疑って受診したのですが、検査や医師のと面談に近い診察の結果、鬱の一種である『気分変調性障害』と判りました。

“入院は必要ないけれど、通院レベルの中では、相当重症ですよ”と言われる程に、重症でした。

 

無意識のうちに、人並みになろうと、実は物凄く無理をしていた事も判りました。

 

その後、書店をクビになった(周りに示しがつかないという事で)のもあり、一切の無理をやめました。

 

それまでの反動で、ほぼ動けなくなり、家事はおろか、生活も人並みには一切できず、余程汗でもかかない限りシャワーですら数週間浴びられないとか、日常茶飯事でした。

担当医の先生曰く

「玄関(のドアのポストに投函されている)新聞すら取りに行かれない状態」

でした。

2DKの狭い家なのに…。

 

その、狭い家に、(しまうならきっちりしまいたいから、テキトウに突っ込む位なら後でちゃんとしまう!はずの)物が溢れています。

片付ける気力も体力もない状態です。

その時期は本当に夫に連れられて外出する以外は一切一歩も外に出ない生活をしていました。

自力で出かけるのは、心療内科に行く時だけ。

それも、予約時間に行かれず、数時間遅れて行ったり、間に合わず別の日に変えて貰ったり…。

 

それでも、薬がないと本当に、トイレすらしんどいほど動けなくなるので、何とか通っていました。

 

脳の機能障害なので、上述のリンクにもある通り、足りない成分を補う為の薬です。

耳にした事もある方もいらっしゃるかもしれない、“セロトニン”などです。

そういう物質が正常に近い量分泌されるように促したり、補ったりする薬と、ガッチガチの肩こりから来る頭痛を緩和する為の鎮痛剤と胃薬。

気分の浮き沈みをある程度コントロールする、いわゆる抗うつ剤(これも、勿論、脳の成分分泌に作用する薬です)。

副作用による過活動膀胱の薬などを飲んでいます。

 

体内時計というか時間の感覚が完全に狂っており、自分では5分で終らせたつもりでも実際には10〜15分経っているような状態です。

故に、時間通りに動けないので、予定していた時間に出られなくなるのです。

余裕を持たせると油断して、間に合わないという事も多々……。

 

数年後、元々好きで憧れていた、着物の着付け教室を徒歩圏内で地元の呉服屋さんが、お安くやっているのを、夫が見つけてくれて、行ってみなよと言ってくれたので、行き始めました。

最初は歩いて行くのにも疲れて“元気がない”状態でしたが、みるみる調子が良くなり、着物が欲しくて、その為に働けるようにまで、状態が良くなりました。

よっぽど自分に合っていた上に、楽しかったからなのでしょう。

 

その頃、丁度出た新薬が、今までで一番合うと判り、非常に安定していました。

 

 

用事や目的さえあれば、外に出るのが苦痛ではなくなり、1日4〜5時間、週3〜4日で働けるようになりました。

 

それから10年弱、遅刻が治った訳ではなかったので、数年毎に職場は変わらざるを得ませんでしたが、1日4〜5時間・週3〜4日で働いてこられました。

 

しかし、今年の春頃、急に調子が落ちてしまい、仕事に行くのが非常にしんどくなってしまいました。

 

担当医には、

「ここ、10年近く働けちゃっていたから、その疲れが出ちゃったんでしょう」

と、言われ、休職はしなくてもいいけれど、週3日でギリギリ何とかなる状態なら、週2日以下にしかないと、無理ですねとの事。

少しお休みするように言われたのです。

 

幸い、職場の上司にも精神障害福祉手帳2級を交付されていることを、面接時と入社時に伝えてあったので、何とか週2日で続ける事ができてはいます。

 

半年近く経っものの、あまり回復はしてはいません。

繁忙期だったのもあって、少しがんばってしまったりした所為もあるのかもしれません。

その為、職場の人員が、人数はいるものの働ける日数が少ない人が多いようで、人が足りない状態になっており、私の代りに日数入れる人を入れたいのか、微妙に辞めて欲しそうな事も言われたりはしますが……。

 

 

 

今回、この記事を書くに至ったのは、自分が病気だと知ってもらいたいというエゴも勿論ありますが、世の中にはこういう不便な状態の人も結構居るんですよ〜〜と知って頂きたいとも思っているからなのです。

 

自分でも、いちいちしんどかったり億劫だったり、融通が利かなかったり、というのが面倒臭いと思うのですから、周りはもっと面倒臭いと思っているでしょう。

また、知らない人やわからない人には、掴み所がないとも思われるし、職場では時間通りに動けない、人によっては使えないヤツと思っている人も居るようですし。

そう思われる、似たような症状のある人達が1人でも、生きやすくなったら良いなと思うのです。

 

病気や障害って、基本的に、手間が増えてちょっと不便なだけの人だと思っています。

傘を持っていると、ちょっと手間が増えて不便なのと一緒です。

 

各症状は当たり前のことなのです。

が、面倒臭い不便な状態なのです。

少なくとも、私にとっては。

 

薬を(特にたくさんの量や種類)飲むことに抵抗がある方も多いと思います。

が、何のためにその薬を飲むのか、また最初は少量から試して効果の出方をみて診て増減してくれる、医師からキチンと話をした上で、処方されたものは、デメリット(副作用など)が一切ない薬は確かにない訳ですが、それよりもメリットの方が大きいから処方されます。

自分の状態や症状を、しっかり医師に伝えることが何より重要です。

聞いてくれずに、説明もそこそこに薬を出されるような医師はハズレです。

担当医を変えてもらうなり、病院を変える事をお勧めします。

 

話をろくにしないで、薬だけもらおうとし始めたら、それはただの薬の濫用者です。

 

仕事の為に少し無理をして咳止めの薬を出して貰っていた時は、朝昼7錠程、夜は10錠以上、睡眠導入剤も多い時は4,5錠一度に飲んでいました。

 

今は、各食後に、

朝・抗うつ剤,鎮痛剤,胃薬,便秘対応の為の整腸剤の4錠セット,朝だけ飲む気持ちを上向きにする薬と過活動膀胱の薬

昼・4錠セット

夜・4錠セット,新薬だった抗うつ剤,やる気を促す眠くなりやすい薬

寝る前・睡眠導入剤(すぐに眠りを促す薬、熟睡を促す薬)3錠

を飲んでいます。

 

(ちなみに夜に、体質的に折れやすい爪を保護する為の亜鉛と、生理を安定させる為のビタミンEのサプリメントも各1錠づつ飲んでいます)

 

その他には頓服薬として、気分が落ち込んだ時の薬、気分が落ち着かない(不安発作が起きる事が、今は稀ですが、あります)時の薬、不穏な時の薬、やる気が出ない時の薬、吐き気止めの薬、などを常備しています。

どうしても必要な時しか飲みませんが。

常用している薬では対応しきれない、どうしようもない、気分の落ち込みや不安感、どう自分を宥めすかしてもやる気が出ない時などは、頓服薬を飲んで10〜30分程待ちます。

 

 

持病がある人は、薬を飲まざるを得ないので、ちゃんとした当たりの医師に処方されたら、指示通りキチンと飲んだ上で、合う合わないを相談するのが大事だと実感しています。

これは、心療内科に限った話ではなく、整形外科や脳神経外科、皮膚科でも実感しました。

 

 

こんな感じで、多少(?)面倒な私ですが、これからもお付き合い頂けるとさいわいです。

 

長文にお付き合いくださりありがとうございます。

 

 

ご質問などございましたら、遠慮なくコメントしてくださいませ('、^〜☆